矢取地蔵@京都 2005/12
京都は南区唐橋羅城門町にある矢取地蔵は平安京の歴史と同じほどの古い由緒のある地蔵尊.嵯峨天皇の命により東寺を任されていた空海と,西寺を任されていた守敏[Shubin]はライバルとして競い合っていた.
824[弘仁15/天長元]年,京都は旱魃に襲われる.嵯峨天皇から譲位された淳和天皇は空海と守敏に神泉苑での雨乞いを命じる.先に祈った守敏の法力は天に通じず雨は降らなかった.次に,空海が祈ると三日三晩にわたって雨が降り続き,人々の渇きを癒し,大地を潤したと伝わる.
面目を失った守敏は復讐心に燃え,空海を羅城門で待ち伏せして矢を射って殺そうとする.ところが,どこからともなく現れた黒衣の僧が矢を身に受けて空海を救う.
この黒衣の僧が矢取地蔵だったのだと伝わる.そして,この事件のために守敏は失脚し,守敏の西寺も衰退を余儀なくされた.空海の東寺は現在に至るまで残っている一方で,守敏の西寺は跡形もなく無くなっている.
今日も街角をぶらりと散策.
index