曼殊院@京都 2003/11
京都市左京区一乗寺竹ノ内町にある門跡寺院.青蓮院,三千院[梶井門跡],妙法院,毘沙門堂門跡と並ぶ天台五門跡の一つ.日本における天台宗の開祖である伝教大師最澄[766〈天平神護2〉/767〈神護景雲元年〉/822〈弘仁13年〉]の時代に,比叡山内に創建された坊が起源とされる.菅原氏出身の是算を以って初代とし北野神社[北野天満宮]の別当を兼ねた.
天仁年間[1108/1110],源満仲の四男である源頼平の子の檜坂忠季の子である忠尋[1065〈治暦元〉/1138-11-18〈保延4-10-14〉]が門主の時代に北野神社[北野天満宮]に別院を建て曼殊院と号した.これが実質的な曼殊院の始まりと言える.
左大臣洞院実雄の子で後醍醐天皇とも関係が深かった慈順[1298〈永仁6〉/1359-10-20〈延文4/正平14-09-28〉]が門主となると室町幕府との関係が緊密となる.慈順の死後は,洞院公賢の子・慈昭が門主を引き継いだ.
康暦年間[1379/1381]に,足利義満による北山殿造営のために北山から相国寺の南に移転.
1495[明応4]年,伏見宮第4代当主の伏見宮貞常親王[1426-01-27〈応永32-12-19〉/1474-08-15〈文明6-07-3〉]の子である慈運法親王[1466〈文正元〉/1537-08-04〈天文6-06-29〉]が曼殊院に入ったことで曼殊院は門跡寺院となる.
桂離宮を造営した八条宮智仁親王[1579-02-03〈天正7-01-08〉/1629-05-29〈寛永6-04-07〉]の子で天台座主の良尚入道親王は1656[明暦2]年に曼殊院を洛北一乗寺村の廃絶した月林寺の跡地に移転.良尚入道親王は後に曼殊院の門主となっている.
今日も街角をぶらりと散策.
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