ぶらぶら絵葉書

犬居城

静岡県浜松市天竜区春野町堀之内字犬居.

南北朝時代に国人領主である天野氏による築城と伝わる.

天野氏は,遠江権守藤原為憲の末裔で伊豆国田方郡天野郷にあった藤原景光を祖とする.天野遠景源頼朝の挙兵に加わっている.天野遠景の子である政景[?/1240]は承久3[1221]年の承久の乱で活躍.長門国守護に補任され,遠江国山香荘・武蔵国船木田荘由比郷・安芸国志芳荘の地頭職を得る.政景の曾孫である天野経顕[周防七郎左衛門]が遠江国山香荘に入部し犬居城を築城したという.

天野経顕経政景隆の3代は足利尊氏に与し,経顕の弟である景光の子・政貞新田義貞に与して北遠で対峙する.天野経顕の流れが惣領家[七郎・安芸守]となり,南朝方の天野遠幹の兵部少輔家と争う.しかし,遠江国守護の今川家と結んだ惣領家が国人領主としての地歩を固めていった.

今川氏輝[永正10<1513>/天文5-03-17<1536-04-07>]の代に,今川家による介入を嫌って天野一族は奥山郷の奥山氏とともに離反.今川氏輝の死後の花倉の乱において,宮内右衛門尉系の天野与四郎今川義元に与し今川家への帰参が赦され天野家惣領となる.その死後,叔父の天野虎景が惣領となる.天野虎景の跡は天野藤秀が承継するはずが幼少であったために,惣領は元々惣領家であった安芸守系の天野景泰に移った.

宮内右衛門尉系の天野藤秀は惣領である安芸守系の天野景泰元景父子との所領争いにおいて,今川氏真[天文7<1538>/慶長19-12-28<1615-01-27>]の裁定によって勝利を得る.この結果,天野景泰元景父子は今川家を離反し討伐される.宮内右衛門尉系の天野藤秀が惣領となる.

徳川家康による遠江国侵攻が始まると,天野藤秀は今川方として奥山定友知久兄弟と共に犬居城を守る.しかし,調略を受けて従属.ところが,武田信玄による侵攻が開始されると武田方に寝返る.その後,徳川方に攻められ犬居城は落城.天野一族の所領が広がっていた犬居谷も徳川方に制圧された.

所領を失うと,天野藤秀景康父子は甲斐国に移り,甲斐武田家の滅亡後は武蔵国八王子城主・北条氏照を頼って落ち延びた.残された天野一族は同族のいる安芸国福山へと移ったものや遠江国に留まったという.

@2017/04.


今日も街角をぶらりと散策.
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