ぶらぶら絵葉書

実盛坂

平安時代末期に平家方の斎藤別当実盛の館があったと言われる地にある坂.湯島天神より少し南に位置する.貝坂ともいう.

斎藤実盛は,藤原北家魚名流で越前を本拠とした藤原利仁の流れを汲む河合則盛の子.同族の武蔵国幡羅郡長井庄の長井庄庄司である斉藤実直の養子となり長井庄を本拠とし長井別当と呼ばれていた.

武蔵国幡羅郡長井庄は現在の埼玉県熊谷市に当たり,その館は熊谷市妻沼の大我井神社の辺りにあったと考えられている.

なぜ,湯島の地が斎藤実盛ゆかりとされたかは不明.文京区教育委員会による案内板によると,『江戸志』には,『湯島より 池の端の辺をすべて長井庄といへり. むかし,斎藤別当実盛の居住の地なり』とある.

坂の下には実盛塚や首洗の井戸があったと伝えられる.また,湯島天神男坂下の湯島天神の別当寺である喜見院の宝珠弁財天には大きな池もあったとされる.喜見院は明治の廃仏毀釈により心城院となっている.

東京都文京区湯島3丁目@2016-05.


国土地理院タイルに実盛坂を追記.


今日も街角をぶらりと散策.
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