ぶらぶら絵葉書

道三橋跡

徳川家康が1590[天正18]年に江戸入府してすぐに,江戸城への物資搬入路として江戸城の辰ノ口[和田倉門近く]から呉服橋のそばの銭瓶橋で外濠に合流するように開削した道三堀に架けられた道三橋があった場所.道三堀は写真の向かって左の皇居側から右へと,現在の道路を横切るように開削されていた.道三堀は更に,小名木川新川の開削によって行徳と舟運で結ばれる.行徳からの物資が辰ノ口で荷揚げされ和田倉で保管された.

道三橋は初めは大橋という名だったという.慶長年間[1596/1614]には道三堀に沿って材木屋が軒を連ねた.

橋の南東には幕府典薬寮で典薬頭を務めた今大路道三[1577/1626]の屋敷が置かれた.今大路道三が曲直瀬玄朔の子で曲直瀬諸家の宗家.曲直瀬道三の名で知られる.これが道三橋と呼ばれるようになった由来.なお,元禄・享保年間[1688/1736]には道三屋敷は堀の北側の常盤橋御門内[旧銭瓶町]へと移った.

正保年中江戸絵図[1644/48]を見ると橋の南に町や医者町が見える.

その後,武家地とされ,南側つまり現在のオアゾ一帯は肥後熊本藩細川越中守上屋敷となったことから橋は越中守橋とも,細川家に由来する彦次郎橋言われたという.

1909[明治42]年に埋め立てられた.

東京都千代田区大手町2丁目1@2023-08.


国土地理院タイルに道三橋跡を追記.


今日も街角をぶらりと散策.
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