赤穂城
現在残る赤穂城址は播磨国赤穂藩初代藩主の浅野長直[1610/1672]が慶安元[1648]年から築城したもの.
池田家赤穂藩2代藩主の池田輝興[1611/1647]が黒田長政の娘で正室の亀子姫を正保2[1645]年に突如斬殺.これにより,赤穂藩池田家は改易[正保赤穂事件].
代わって,浅野長政の孫の浅野長直が常陸国笠間藩から入封.
5万石という石高を考えると非常に大きい.もっとも,天守台には5層天守の造営も計画されたとされるが実際には天守は建設されなかった.
本丸の跡地には建物の間取りが示されていて,江戸時代の昔への想像を掻き立ててくれる.
兵庫県赤穂市上仮屋1424-1@2023-08
今日も街角をぶらりと散策.
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