品川宿本陣跡
品川宿本陣[北品川本陣]があった場所.当時,北品川宿・南品川宿・歩行新宿で品川三宿と称し品川宿をなしていた.歩行新宿は現在の北品川1から2丁目に相当し,その南に来た品川宿,さらに南に南品川宿と並んだ.従って,北品川宿は品川三宿の真ん中に位置することになる.本陣は当初は南品川宿と北品川宿に各一軒あったが,江戸中期には北品川宿のみとなる.
寛政・享和[1789/1804]には鶴岡市郎右衛門が本陣,北品川宿脇本陣を服部幸右衛門,歩行新宿脇本陣を城戸弥三郎が務めた.1811[文化8]年,本陣が類焼.鶴岡市郎右衛門は再建するだけの資力が無く,本陣は三宿持ちとなり鶴岡市郎右衛門は守役となった.当時の脇本陣は歩行新宿が三郎兵衛,南品川宿が広瀬次兵衛となった.さらに後に,本陣は烏山金右衛門が務めたという.
1868[明治元]年,明治天皇の東幸・還幸・再東幸の3回におよび行在所とされた.1872[明治5]年,警視庁品川病院となった後,1938[昭和13]年に公園となる.公園の名称は聖蹟公園となっているが,これは明治天皇の行在所となったことに由来.
東京都品川区北品川@2024-03
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