吾嬬神社
日本武尊の一行が相模から上総への海上で嵐に襲われたとき,妃である弟橘媛が自ら海に身を投げて嵐を鎮めた.その遺品がこの辺りに打ち上げられ,それを祀ったとされる古社.
当時,この辺りは浮き洲で,日本武尊一行はここに上陸したという.日本武尊は弟橘媛の着物を見つけると築山に納めて吾嬬大権現として祀ったとされる.
古くから知られた神社であり,正治元[1199]年に,鎌倉幕府第3代執権の北条泰時が葛西領主遠山丹波守に命じて社殿を造営したと伝わる.また,正治2[1200]年に鈴木・遠山・井出の三家が社殿を造営したとも伝わる.北条泰時が寄進を行い,実際に造営に当たったのは三家ということだろうか.
江戸時代には吾嬬の森や浮州の森と言われた.
東京都墨田区立花@2023-02
今日も街角をぶらりと散策.
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