姿見の池
鎌倉時代に坂東七平氏の名門秩父党の首領畠山重忠と恋に落ちた夙妻大夫.
相思相愛の仲だったが,重忠が平家と西国で戦っている間に横恋慕した男が夙妻大夫に重忠が戦死したと伝える.
夙妻大夫は悲しみのあまり姿見の池に身を投げてしまったという.
実は重忠は生きていたのであるが,夙妻大夫はそれを確かめる術がなかった.加えて,重忠を思うあまりの悲劇だったといえる.
姿見という名は街道沿いの恋ヶ窪の遊女が池に自分の姿を映したためだとも伝わる.
姿見の池の辺りは多摩川の昔の流れが扇状地を削って形成した恋ヶ窪の中に位置している.そして,近隣の湧水や玉川上水から分たれた恋ヶ窪用水が流れ込み清水を湛えていたという.
池は残念ながら昭和40年代に埋め立てられてしまった.しかし,伝説は残り,人々の心を動かし続け,平成10年に現在の姿に再生された.
東京都国分寺市西恋ヶ窪@2005-09
今日も街角をぶらりと散策.
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