セメント工業発祥の地
1872[明治5],大蔵省土木寮が日本で初めてセメント製造所を建設した場所.1874[明治7],工部省の所管となり,深川製作寮出張所と改称.1877[明治10]年,深川工作分局と更に改称.
1883[明治16],民営化され,深川工作分局にコークスを納入していた浅野総一郎[1848-04-13〔嘉永元-03-10〕/1930〔昭和5〕-11-09]に払い下げられた.この時,三井と三菱も払い下げを希望したが,それぞれ倉庫と別荘への転用を目的とするものだった.一方で,浅野はセメント工場の存続を訴えていた.浅野は資金不足に悩まされるも,今後の発展性を考えて紡績工場とすべきと言う渋沢栄一を説得し,まずは貸与という形が取られる.そのため,正式に払い下げられたのは1884[明治17]年.
ここに浅野工場が誕生.経営には,後に日本の製紙王と呼ばれ大川財閥を築くことになる大川平三郎[万延元-10-25〔1860-12-07〕/1936〔昭和11〕-12-30]が加わった.大川平三郎は渋沢栄一の義理の息子に当たる.
1898〔明治31〕年には浅野セメント合資会社[後の太平洋セメント]へと改組.浅野総一郎,大川平三郎,尾高幸五郎,渋沢栄一,安田善次郎が出資.
今なお,東京工場として生産を続けている.
江東区清澄@2023-07
左は浅野総一郎像.右は1894[明治27]年に横浜築港工事で使われた浅野製セメントを用いたコンクリートブロック.1931[昭和6]年に横浜港改築に際して海中から引き上げられたもの.そして,工場で使用されていたフレットミルの花崗岩製ローラ.
今日も街角をぶらりと散策.
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