秩父札所12番 仏道山野坂寺@2002
西武秩父の駅から市役所前の大きな通りへと出て、小学校のある三本目の交差点を右に曲がったところの奥に位置する。
一応、駅で配られている地図、これは前回も使用したものをそのまま持参したが、その地図は持ってはいた。とはいえ、念のために駅前の観光案内所に立ち寄る。
秩父に着いたのがまだ朝の8時前だったので観光案内所は当然のように固く入り口が閉められていた。
そこで、次善の策として観光案内所の横の交番で道を尋ねる。
ここに居たのが非常に親切なおわまりさん。しかも、若々しく凛々しい。非常にと形容したのにはそれなりの理由がある。この交番で駅で入手した地図とは別の地図を戴いた。こうして合計2枚の地図を持って、少し歩いてから今日の計画を改めて確認する。と、先ほどのおまわりさんが走ってこちらにくるではないか。
「私の説明で道がわかりましたか?」
恐縮至極である。当方、教えてもらった道が分からなかったわけではないので、その旨を告げて感謝の意を改めて表す。
秩父はなかなかいい場所だ。
さて、野坂寺のことである。
秩父の地は奥武蔵と言われる。なるほど、武蔵国の西方のはしに位置し甲斐国に隣接している。ついでにいうならば、現在は東京都に属している奥多摩にも名栗から抜けると非常に近い。これらの地域は埼玉、東京、山梨と今は別の都県の下にあるがもともとは同じ生活圏ではなかったのではないか。
話がそれた。
この野坂寺の由来が甲斐国と関係があるという。繰り返しになるが、野坂寺のある秩父は昔から武州であり、武州の揺籃の地とも言える。その地に甲州のあきんどが赴き、野坂寺のあたりで盗賊に襲われた。あきんどは盗賊に命を取られまいと、身に付けていた観音像を手にして「南無観世音」と一心不乱に唱えた。すると、摩訶不思議なことに、観音像からオーラが発せられあたり一面が眩いばかりに照らされた。これに驚き、惧れをなしたのが盗賊である。泣く子も黙るような厳つい顔つきの盗賊であったが、心根は顔つきほどには悪くなかったのであろう。観音像のオーラに照らされて心を入れ替え、あきんどに詫びるとともに即座に出家した。
あきんどもまた信心深かった。
出家に及んだ盗賊を見て、堂宇を建立し観音像を安置したという。
それが野坂寺である。
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今日も街角をぶらりと散策.
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