東村山_東京
東村山は明治17年に発足した野口、廻り田、久米川、大岱の4ヶ村組合がもとになっている。
この地域は承応3(1654)年の玉川上水の完成とそれに引き続く新田開発によって誕生した。
文化・文政期には、南秋津、久米川、野口、廻り田の各村は多摩郡に属し、大岱村は入間郡に属していた。このころの各村は天領や地頭領、寺領の分割支配となっていた。
こうした経緯から、廃藩置県後も南秋津、久米川、野口、廻り田村は神奈川県、大岱村は埼玉県に属する。
その後、明治13年には入間郡大岱村が多摩郡に編入、17年に現在の東村山の市域に当たる4ヵ村組合が誕生し、の三多摩の東京府移管に伴って、東京府に編入。
昭和17(1942)年に町制施行、昭和39年には市制を施行して現在に至る。
この地域は承応3(1654)年の玉川上水の完成とそれに引き続く新田開発によって誕生した。
文化・文政期には、南秋津、久米川、野口、廻り田の各村は多摩郡に属し、大岱村は入間郡に属していた。このころの各村は天領や地頭領、寺領の分割支配となっていた。
こうした経緯から、廃藩置県後も南秋津、久米川、野口、廻り田村は神奈川県、大岱村は埼玉県に属する。
その後、明治13年には入間郡大岱村が多摩郡に編入、17年に現在の東村山の市域に当たる4ヵ村組合が誕生し、の三多摩の東京府移管に伴って、東京府に編入。
昭和17(1942)年に町制施行、昭和39年には市制を施行して現在に至る。