武蔵
無邪志、胸刺、知々夫の3国が大化元(645)年から開始された大化改新を契機として合併して武蔵国が形成された。この時の国郡制施行によって日本全国の各国は大国、上国、中国、下国に格付けされた。武蔵国は大国。武蔵国の隣国である相模国は相模川流域の相武国造支配地域、酒匂川流域の師長国造支配地域、鎌倉別支配下の鎌倉・三浦地域から構成されていた。この相模国のうち相武国造支配地域は元来は無邪志国造の支配下にあったと考えられている。つまり、もともとの「ムサ地方」がムサカミ(相武)とムサシモ(無邪志)の上下国に分かれたとされる。さらに、武蔵国に組み込まれた胸刺も無邪志とは別個の地方ではあるけれども、同じ背景を持つ地域と考えられる。