あきる野市

平成7(1995)年に秋川市と五日市町が合併して誕生。市名は古来からの地域名称である秋留郷に由来する。秋留郷は鎌倉時代には武蔵七党の一つ西党の小川氏、二宮氏、小宮氏、平山氏などが支配していたことで知られる。また、秋川・平井川流域の小川郷には室町時代に武蔵総社六所宮随一の大社である二宮神社が小川大明神として崇敬を集めた。この地域にはまた『延喜式』に記載のある阿伎留神社が鎮座している。
秋川の名は地域を流れる秋川に由来する。一方の五日市は戦国時代末期から開かれた市に由来する。この地域では伊奈と五日市で定期的に市が開かれた。
もともとは32ヵ村から構成され、明治に至って韮山県・品川県にそれぞれ分かれたものの、明治5年には全ての村が神奈川県に移行。明治12年に中心であった五日市村に町制が施行される。その10年後には、東秋留、西秋留、増戸、明治、三ッ里、小宮へと各村が統合。また、小中野村が五日市町に合併する。明治26年の東京都移管を経て、大正7年に三ッ里、明治村が五日市町に合併。その後も統廃合が続き、大正10年には多西村誕生。昭和30年には東秋留、西秋留、そして多西村が合併し秋多町となる。同時に、増戸、戸倉、小宮の各村が五日市町と合併。46年には地域的繋がりを持っていた八王子市高月町切欠を秋多町に編入。この秋多町が昭和47年に秋川市となった。
つまり、秋川と五日市は根は同じということになる。