福井

福井県にある福井の話。
ひょっとして、こちらも出雲臣と関係があるのか。出雲臣福井氏が本拠地の播磨国揖保郡福井庄から越前国の福井に移住したのか?
そうだったら非常に面白い。
しかし、越前にある福井の名称の起源は、それほど古くはない。
福井はもともと北ノ庄と呼ばれていた。そう、柴田勝家が本拠地としたことで有名。
戦国時代の時代劇を見ても、どこからも福井という地名は聞こえてこない。その代わりに聞こえてくるのが北ノ庄。
徳川幕府の治世で北ノ庄は結城松平氏の支配下となる。徳川家康の次男、結城秀康は入り63万石の藩主となったのだ。
もともと、福井あるいは福居という地名は北ノ庄にあったことが絵図などで知られている。それでも、地域全体は北ノ庄と呼ばれていた。
北ノ庄は秀康の後、忠直が継ぎ、忠直改易の後には弟の忠昌が継承した。この忠昌が北ノ庄の地に入ったのが寛永元(1624)年。
この時に、「北は敗北の北で縁起が悪い」ということで北ノ庄を福居庄に改めたのだという。縁起を担いだ訳だが、小地名として福居あるいは福井があったことを考えると北ノ庄という古い地名から一般に使用されていた通称の福居に改めたのだという指摘もされている。
ともあれ、福居はさらに元禄年間頃に福井に改められて現在に至っている。