鵜野森
相模原市の地名。
かつて、この地の雑木林に鵜が沢山生息していたことに由来すると伝わる。1993年に住居表示が実施された際に昔からの地名が残された。
徳川家康が江戸に入った際には徳川家の直轄地とされ、今川氏没落後に徳川家康に仕官した彦坂元正が当初は代官を務めた。彦坂元正は、天野康景、板倉勝重と共に江戸入府とともに江戸町奉行となり江戸の発展に寄与したことで知られている。しかし、1606年に改易された。
後に、1596年頃には永井弥右衛門白元が戸塚に代官屋敷を構えて統治。以降、幕末まで旗本永井家が知行した。
さてこの永井家の陣屋は大庭景親の弟が俣野五郎景久ゆかりの俣野城に構えられている。これだけでも興味深いのであるが、何と、この永井白元は元の名を長田白元という。長田家は源義朝・鎌田政清主従を暗殺した長田忠致の兄の長田親致を祖とする。源氏の血を受け継ぐ徳川家康は長田の名字を永井に改めさせたという。