上川離宮

2代目北海道庁長官永山武四郎は旭川の神楽岡を予定地として北京設置を具申。根強い反対に合って頓挫するも、上川離宮計画として再浮上。1889(明治22)年に閣議決定。ところが、札幌、小樽の反対と1894年の日清戦争、1904年の日露戦争勃発によって計画は白紙となった。

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