鎌倉七切通の一つ。
鎌倉の十二所と六浦[Mutsua]を結ぶ要路。六浦[Mutsua]側は江戸時代には相模国鎌倉郡峠村と呼ばれ、朝比奈切通の別名の峠坂はここに由来します。
鎌倉時代の武将・和田義盛の子・朝比奈義秀が切り開いたという伝承があります。また、1337[建武4]年には南朝の北畠顕家が鎌倉侵攻の際に使ったといいます。
1703[元禄16]年の大地震で約66.6メートルにわたって崩壊[楽只堂年禄]しましたが、修復され明治に至っても利用されました。
2005/11/05
posted by N.Tateno.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.