1219(承久元)年
1月
7日 鎌倉大火 | 15日 再び鎌倉で火災発生 | 北条泰時が従五位上に叙せられ駿河守となる | 23日 大納言坊門忠信が鎌倉入り | 27日 3代将軍源 実朝が右大臣拝賀式典の夜に鶴岡八幡宮寺で同別当公暁に暗殺される。公暁は三浦義村を頼るが三浦氏の家人長尾定景によって討たれる
2月
13日 二階堂行光が親王を将軍として迎える奏請のために上洛する | 14日 伊賀光季が京都守護となる | 19日 源 頼朝の弟の阿野全成の遺児である阿野時元が駿河国で挙兵するも討伐される
閏2月
後鳥羽上皇は六条宮か冷泉宮を鎌倉下向させるとするが時期を明言せず
3月
8日 後鳥羽上皇の使者忠綱が長江、倉橋荘の地頭職を変えることを要求する | 15日 上皇への返事を奉じ北条時房が1000騎を率いて上洛する
6月
3日 鎌倉側と京都側の交渉が暗礁に乗り上げる中で三浦義村による摂家将軍案が浮上。源家とも縁のある九条三寅を鎌倉将軍とすることを上皇も認める
7月
19日 後鳥羽上皇が源三位の孫に当たる大内守護の源 頼茂を討伐する
9月
8日 二階堂行光が逝去する | 22日 鎌倉で名越から若宮大路を焼き尽くす火災発生