1251(建長3)年辛亥
2月
東若宮大路、南由比ガ浜、北中下馬橋、西佐々目に及ぶ火災。この火災で右近将監時定、相模八郎時隆の邸が焼ける
5月
5日 北条資時が逝去する | 15日 第5代執権北条時頼に時宗誕生
6月
22日 中原師員が逝去する | 27日 内裏造営の賞として、第五代将軍頼嗣が従三位、第5代執権北条時頼が正五位下に叙される
9月
5日 清原満定、深沢山城守を奉行として窮民救済を命ず
12月
3日 鎌倉の大町、小町、米町、亀谷辻、和賀江、大倉辻、気和飛坂上にて牛を繋ぐことを禁じ小路の清掃を佐渡大夫判官基政、小野沢左近大夫を奉行として命じる | 26日 鎌倉に騒動の風説が流れているため執権北条時頼邸の警護を固めていた中、了行法師、矢作某、長 久連が捕縛され謀反計画が露顕する