1290(正応2)年庚寅
3月
9日 浅原為頼父子が御所に乱入。乱入したのは霜月騒動で安達泰盛に連座して所領を没収された甲斐小笠原一族の浅原為頼、太郎、八郎の父子。自害に用いた太刀が前右大臣三条実親の孫の中納言実盛の鯰尾であることが判明。更に、事件の背後に大覚寺統の陰謀があったことが明らかとなる。西園寺公衡は大覚寺統の亀山上皇、後宇多上皇を廃することを主張したが、持明院統の後深草上皇が強硬策に反対したことで事を荒立てずに決着した
10月
北条時定が博多にて逝去する
11月
北条時輔の遺児が謀反し誅される
11月
21日 二階堂行忠が逝去する