長谷部信連の武勇
新宮十郎は、京から真っ直ぐに諸国へと下るのではなく、故郷とも言える熊野へと立ち寄り、あろう事か令旨の内容を僧兵へと漏らした。そして、熊野の僧兵から平家方へと以仁王の企てが報告された。
如何に平家が公家のように振舞っていたと言っても、武士は武士。平 清盛は以仁王謀反の報せを受けると、直に以仁王を土佐へ配流することを命じる。この時、清盛自身は以仁王の背後に源 頼政がいるなどということは全く知らない。そして、面白いことに、清盛が以仁王の逮捕を命じたのは何と源 頼政の次男の検非違使大夫判官兼綱だった。もっとも、兼綱は父親の頼政が以仁王とともに平家討伐の狼煙を上げたことなどは知らなかった。知らなかったが、いや知らなかったこそかもしれないが、兼綱は頼政に以仁王を逮捕するということを知らせる。
平 清盛の動きも速かったが、事が漏れてしまったことを知った頼政の動きも迅速だった。以仁王を京から源氏ゆかりの三井寺に移るように使者を放った。使者から仔細を聞くか聞かないかのうちに六波羅の検非違使が以仁王の邸に迫ってきた。以仁王は三井寺へと逃れ、時間を稼ぐために以仁王の邸を守るのは北面の武士の長谷部兵衛尉信連ただ一人。迫るは光長、兼成、兼綱らの検非違使。信連は怯むことなく、
「この館をどなたの屋敷と心得る。恐れ多くも後白河法皇様の第二皇子高倉宮以仁王様のお屋敷であるぞ。馬から下りて礼を尽くされよ。無礼にも御門を打ち破るならば、この長谷部信連がお相手申す」
と高らかに叫んだ。光長、兼成、兼綱らの検非違使は驚いて慌てて門の外に取って返したが、我に返ると信連の捕縛を命じた。立ち向かうのは信連ただ一人。対する検非違使側は多勢。斬っても斬っても次々と信連に迫ってくる。やがて、刀が鍔元三寸のところからボキリと音を立てて折れた。あってはならぬことを見てしまったかのように折れた刀を凝視すると、信連は再び大きな声を出し、
「もはやこれまでと心得た。さぁ、我こそはと思う兵(つわもの)は我が首を取って自らの功名を立てよ」
信連はこうして生け捕られたが命だけは赦された。平 清盛が信連の働き振りを聞き敵ながら天晴れとのことで西洞院の獄から伯耆へと配流となった。