義経の3つの名前
「源 義経は兄の頼朝に追われて逃亡生活を送っている間に2回名前を変えている。
いや、変えているというのは不正確だな。
変えられている。最初は、義経という名前が九条兼実の子の良経ということから、義経を義行に変えられた。九条兼実(1149-1207)と言えば、月輪殿、後法性殿と称され、摂政、太政大臣、関白を歴任し藤原氏の氏長者でもあった人物。後の五摂家のうちの九条家、一条家、二条家の祖となった人物でもある。その息子の九条良経(1169-1206)もまた後に氏の長者になっている。そんな人物と同じ名前は宜しくないという次第。
ところが、その義行こと義経はなかなか捕まらない。で、捕まらないのは、きっと行く、つまり逃げて行くっていう字に関係があるに違いない。ならば見つかりやすい名前に変えてしまえということで、義顕に変えられた。
そして奥州藤原氏第4代当主の藤原泰衡(1155-1189)によって討たれる。これは名前が義顕に変えられたからでもないだろうし、そもそも、義経自身は自分の名前が変えられているなどとは知らなかっただろう」