内管領

鎌倉幕府の執権北条氏の宗家である得宗家の執事。「御内頭人」(みうちとうにん)とも。

1224年(元仁元年)に3代執権北条泰時が尾藤景綱を家令に任じたのが最初であるとされる。内管領の名称は、8代執権北条時宗、9代北条貞時時代の平左衛門尉頼綱から見られる。頼綱は時宗の死後に台頭し、弘安の改革を巡って安達泰盛と対立し、1285年(弘安8年)の霜月騒動において泰盛らを滅ぼす。頼綱が1293年(永仁元年)の平禅門の乱で貞時に滅ぼされた後、貞時の子北条高時の時代には頼綱の一族である長崎高綱(円喜)、長崎高資親子が内管領となり権勢を振るい、得宗専制体制を支えた。後醍醐天皇の討幕運動に参加した新田義貞らにより幕府が滅亡すると消滅する。

出所:wikipediaより竹内信春改変,GFDL


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