甲斐武田氏
_清和源氏義光流。来年(2007)年の大河ドラマは風林火山なので。武田家ゆかりの地をこゆるりと。来年にかけてまだまだ経巡る予定。
それはさておき、甲斐の武田氏の発祥の地は意外も意外、甲斐、現在の山梨県ではなく、常陸、現在の茨城県。源新羅三郎義光の子で、常陸国那珂郡武田郷(茨城県勝田市)を本拠としていた源 義清が息子の清光の乱暴狼藉を訴えられて、甲斐国八代郡市河郷(山梨県市川三郷町)へ配流されたのが甲斐武田氏の起源と考えられている。義清は常陸国にいる時から武田冠者を名乗っていた。その名乗りのままで甲斐国に入り、甲斐にあっても武田冠者を名乗り続けた。こうしたケースは源氏では非常に珍しいとされている。また、配流とは言っても、甲斐国自体が義光所縁の地であったことは後の武田氏の発展を容易にしたと考えられる。また、罪人とされた訳でもなく市河荘の役人としての赴任という形をとったために、義清は一族郎党をそのまま引き連れて甲斐国に入った。そして、息子であり騒動を引き起こした張本人である清光は逸見冠者を名乗り、甲斐の土着氏族との血縁関係を取り結んで武田氏の甲斐での基盤を固めていった。すなわち、清光の息子達が逸見、安田、加賀美、平井、河内、奈古、浅利、曾根、八代などの諸氏の祖となった。
武田家の菩提寺:恵林寺
武田勝頼(1546-1582)が織田徳川連合軍に敗れ、岩殿城へと落ち延びる途上で立ち寄った大善寺
武田氏の軍旗である「孫子の旗」、「日の丸の御旗」、「諏訪神号旗」がある雲峰寺