北条時房

1175(安元元)年〜1240(仁治元)年。北条時政の三男。母親は足立遠元の娘。時連と名乗り第二代将軍頼家の側近として仕えた。1202(建仁2)年に時房と改名。承久の乱の際には、北条泰時、足利義氏、三浦泰村、千葉胤綱と東海道を攻め上った。乱後は六波羅探題南方として活躍。伊勢国、武蔵国、丹後国、遠江国の守護職を歴任。大仏殿と呼ばれ、北条時房の流れは大仏家と呼ばれ遠江守護職を相伝していった。


This page is powered by Blogger. Isn't yours?

京と鎌倉の宇佐小路のショッピング おこしやす楽天