横山党

武蔵七党の一つ。現在の八王子市横山を中心に西は小仏峠から東南は関戸に至る地域に広がる皇室領横山牧の別当から興った。太田亮によれば「小野郷に住み、小野神社を創立したところの武蔵国造の一族」。

1213(建保元)年に鎌倉で勃発した和田合戦に棟梁の横山右馬允時兼が参戦。敗戦の後、右馬允時兼は甲斐まで落ち延びるが、一族の古郡左衛門尉とともに自害。平山、粟飯原、田名、小山、古郡、椚田の一門も同様に滅んだ。

八王子の妙楽寺が横山氏の館跡、八雲八幡神社が義孝が屋敷内に勧請したものと伝えられている。


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