鎌倉街道京道 三島篇
東海道新幹線の三島駅を降りてまずは三島大社へと向かう。
スムーズに行くはずが、北口にから駅の改札を出てしまい戸惑う。目指す鎌倉街道は南口。慌てて南口に出ようとするけれど駅を潜る道がない。かなり遠回りしてようやく北口へ。
駅前の案内図で三島大社の位置を確認していざ出発。道の真ん中で存在感を放っている愛染院の溶岩塚をちらりと見、名勝楽寿園を右手に見て南下。
白滝公園を左折してせせらぎの道を三嶋大社へ。
案内板にはきちんと「鎌倉古道」の文字。これが目指す鎌倉街道京ノ道。様々な文学碑が川沿いに並ぶ風情豊かなせせらぎの道をこゆるりと。
三嶋大社は源 頼朝(鎌倉殿)が源氏復興を祈願したという神社。樹齢1200年の金木犀は見逃せない。頼朝もきっと目にしただろう。ちなみに、金木犀の花言葉は「あなたの気をひく」。なるほどなるほど、と一人納得。
三嶋大社の前を走るのが箱根から下ってきた旧東海道。つまりは鎌倉街道京ノ道。いよいよお目当ての道。この道を西へ西へと。今回は隣の沼津まで歩く。どんどんと市街地を歩き、源兵衛川へ。少し奥に戦後に鋳造された時の鐘に三石神社。
さらに進んで広小路駅を越えると西見附の跡に秋葉神社が鎮座している。西見附は広小路にあったものが正徳年間(1711-1716)に現在地に移転したのだとか。
その西に1555(天文24)年に小浜池の水を樋で引いた千貫樋。当初は木製だったが関東大震災後に鉄筋コンクリート製に。
少し疲れてきたがまだ先を行くと見えてくるのが玉井寺と宝池寺の一里塚。見事な形をしているのは宝池寺のほうの一里塚。しかし、こちらは復元されたもの。昔からの形を現在に伝えているのは玉井寺の一里塚。
一里塚からさらに先には1180(治承4)年に源 頼朝と奥州から馳せ参じた源 義経が対面を果たしたという対面石がある長沢八幡宮。
もうすぐ黄瀬川。その黄瀬川の手前にあるのが智方神社。中先代の乱で北条軍の前で鎌倉を後にする足利直義の手によって鎌倉宮の土牢に幽閉されていた後醍醐天皇の皇子でかつての征夷大将軍護良親王が殺害される。護良親王の側に仕えていた南の方が護良親王の首を故郷の京都に密かに持ち帰ろうとするも黄瀬川の洪水に遭ったために埋葬したとされる地。