平塚

歌川広重の東海道五拾三次之内から。相模川(馬入川)と金目川(花水川)が注ぐ平塚は鎌倉時代からの交通の要衝。鎌倉時代には既に宿場があったとされる他、武田信玄も小田原侵攻の際に陣を張ったと言われる。江戸時代に東海道が整備されると7番目の宿場とされ、本陣・脇本陣の他に約50軒の旅籠があったという賑わいだった。

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