板倉重昌墓所

東京は中野区の上高田寺町の宝泉寺は万昌院のすぐ先。ここに、源光大居士と刻まれた板倉内膳重昌の墓がある。重昌は三河深溝城主を皮切りに、豊臣家滅亡の引き金となった方広寺事件では使者に立った人物。1637(寛永14)年の島原の乱で指揮を執ったものの鎮圧出来ず、幕府が老中松平信綱の派遣を決めた。責任を果たせないことを無念に思った重昌は原城を総攻撃し壮絶な死を遂げた。

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