源融公墓所

紫式部『源氏物語』の主人公の光源氏のモデルとも言われる源融(822-895)。六条河原院の造営でも知られるが、墓のある清凉寺は別邸栖霞観があった場所。52代嵯峨天皇の子。57代陽成天皇譲位の際は自分も天皇となる資格があると大胆な発言をしたことで知られる。結局は藤原基経に反対され皇位は光孝天皇に受け継がれた。

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