中川下流にて

1818(文政元)年の老中公式見解である「御朱印図」によると、東は中川、西は神田上水、南は目黒川が江戸の範囲だったという。今、立っている場所は人工河川である荒川と中川の間にある土手。江戸時代でいうと、ここから西が江戸ということになる。

This page is powered by Blogger. Isn't yours?