「鎌倉十橋の一つ。場所でいうと御成町の今小路に架かっている橋だけど名前の意味が良く分からない。一説には、裁許というのは、あの西行法師の転じたものだとも言われている。西行法師が架けた橋だという伝承、これはあくまでも伝承なんだけど、それに由来する名前なのだとか。でも、一方で、1199(正治元)年に移された幕府の問注所があったからとか、あぁ、問注所というのは裁判をしたところだからということなんだけど。あとは、飢渇畠(けかちばたけ)っていう処刑場があったからなど、いろんな説がある」