「鎌倉十橋の一つだけど、気がつかずに通り過ぎてしまいそう。乱橋とも、濫橋とも言われている。昭和4年3月の鎌倉町青年団の石碑に『乱橋又濫橋ト作リ 一石橋ノ名ナリ 橋ノ南方ニ連理木アリテ名高シ 東鑑ノ寶治二年六月ノ條ニ 十八日寅刻濫橋ノ邊一許町以南 雪降リ其ノ邊霜ノ如シ ナトアリ 辻町ト材木座トヲ境スル細流ニ架セル逆川橋ト共ニ 鎌倉十橋ノ一ナリ』と紹介されている」
「ここで新田義貞と得宗の北条高時の軍が戦って、高時の軍が総崩れになったといわれているわ」