織田信雄公四代供養塔
向かって一番右が織田信雄、そして一番左から二代高長公、三代長頼公、四代信武公の供養塔。織田信雄は信長の次男。伊勢の制圧の過程で、北畠具房の養嗣子となり北畠氏を継いだ。本能寺の変の後は、弟の信孝が柴田勝家方に与したために、豊臣秀吉側に就いた。信孝を自害に追い込むと、今度は徳川家康に与するようになる。その後、転封を拒否したために改易。家康の取り成しによって復権を果たした。しかし、信長の血が騒いだのか関が原の戦いではいづれにも与しないような態度を取り再び改易。それでも、家康から許されて再び復権している。家康の覇権は秀吉の覇権の上に、そして、秀吉の覇権の基礎は信長に負っている点からも、その血を絶やすことは出来なかったのだろう。