富山城址
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織田信長が富山を制圧すると、佐々成政が富山54万石に封じられ居城とした。佐々が豊臣秀吉に下ると、加賀前田家の城となり浮城とも呼ばれた。前田利長は、加賀・能登・越中の3ヶ国120万石を得た。慶長10年に利長は隠居して富山城に移るが、慶長14年に主要部の建物をことごとく焼失、高岡城を築いて移る。
しかし、そこで歴史が終わった訳ではない。寛永16年、加賀藩3代前田利常は、次男の利次に10万石を与え富山藩として分家させる。利次は、廃城と化していた富山城を修復し居城とした。以後富山前田氏13代の居城として明治に至る。現在の天守閣は戦後の復興時に建設されたものだが、富山城は今も別の形で、なお輝き続けている。