東フランク王国

■911年:ルードヴィヒ3世の死によりカロリング朝断絶。
フランケン太公コンラート1世(Konrad I)が部族太公の中から新国王に即位。

■919年:ザクセン(Sachsen)太公ハインリヒ1世(Heinrich I)が国王即位。東方のスラブ、マジャール、北方のデーンに備えマルク(辺境領)を設置し辺境伯(マルク=グラーフ)に統治させる。

■925年:ハインリヒ1世(Heinrich I)がロートリンゲンを併合しフランク5部族太公制を布く。

■936年:ハインリヒ1世(Heinrich I)の子のオットー1世(Otto I)即位。

■951年:オットー1世(Otto I)、イタリアに遠征しイタリア王位に就く。

■953-954年:東フランク諸太公の叛乱。オットー1世(Otto I)による支配にバイエルン、シュワーベン、フランケン、ロートリンゲン太公が叛乱。しかし、東方からマジャール人が東フランク王国に侵攻すると叛乱は収束。

■955年:レヒフェルト(Lechfeld)の戦いでオットー1世(Otto I)率いる東フランク王国軍が勝利。

■961年:ローマ教皇ヨハネス12世(Johannes XII)の要請によりオットー1世(Otto I)が2度目のイタリア遠征。

■962年:オットー1世(Otto I)がローマ教皇ヨハネス12世(Johannes XII)からローマ皇帝の帝冠を受ける。これが神聖ローマ帝国(Heiliges Romisches Reich)が成立。


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