建礼門院十三重御塔
東山の円山公園の奥にある長楽寺にある石塔。この塔は以前は長楽寺山山腹八丁台の景勝地にあったという。明治初年にこの地に移された。何故、この地なのか。平家物語によると、建礼門院は鷲尾にて69歳で亡くなったとも、遺骨を鷲尾に納めたとも記述されているという。その鷲尾が東山の鷲尾を指すとすると、長楽寺の地に比定される。
建礼門院(平 徳子、1155-1214)は高倉天皇の中宮にして安徳天皇の母。そして何よりも平 清盛と二位の尼(平 時子)の娘という平家の人物。壇ノ浦の合戦で平家が敗れると、一族とともに海の中に身を投じる。しかし、源氏方の嵯峨源氏摂津渡辺党渡辺昵によって熊手で救い上げられた。
源氏の保護下に置かれた建礼門院は長楽寺の印誓上人によって落飾したという。この塔はその髪を納めたものという言い伝えもある。ともあれ、女房の一人右京太夫の助言で大原の地に移るまでの所縁の地がここである。