三好之長最期の地
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後に、畿内国人と結んだ高国が澄元と将軍義澄を追放すると、「如意ケ嶽の戦い(1509)」、「船岡山の戦い(1511)」を戦うが敗れている。最期の戦いは「等持院の戦い」。この戦いで敗れた三好之長は通玄寺塔頭曇華院で院主高照院に匿われていたが発見され百万遍で自害した。
第11代将軍足利義澄は「船岡山の戦い」の最中に病死、細川澄元も三好之長の死後に阿波勝瑞城まで逃げ延びたが同じ年に病死している。
後に、畿内国人と結んだ高国が澄元と将軍義澄を追放すると、「如意ケ嶽の戦い(1509)」、「船岡山の戦い(1511)」を戦うが敗れている。最期の戦いは「等持院の戦い」。この戦いで敗れた三好之長は通玄寺塔頭曇華院で院主高照院に匿われていたが発見され百万遍で自害した。
第11代将軍足利義澄は「船岡山の戦い」の最中に病死、細川澄元も三好之長の死後に阿波勝瑞城まで逃げ延びたが同じ年に病死している。