小野随心院
1780(安永9)年に秋里籬島によって記された『都名所図会』に「勧修寺の東なり、曼荼羅寺と号す、又、小野水、門内南の藪の中にあり、此の所は出羽郡領小野良実の宅地にして」と紹介されている小野小町(809[大同4]頃-901[延喜元]年)ゆかりの寺院。京都にある。小野良実は小野篁の息子(孫だったが篁に育てられた)。
小野氏の後、仁海僧正が牛に生まれ変わった生母の供養に牛皮山曼荼羅寺を建立したのが随心院の始まり。時代は一条天皇の991(正暦2)年。小野小町が世を去ってから約1世紀後。その曼荼羅寺の子房として増俊阿闍梨が建立したのが随心院。第7世住持親巌、1229(寛喜元)年の後堀河天皇の時代に門跡寺院となった。
真言宗小野流三派(随心院流、勧修寺流、安祥寺流)の中心でもあった。
洛巽の苔寺とも呼ばれる。
鎌倉で苔寺と言えば妙法寺。