は聖徳太子の別荘を行基菩薩が西方寺としたのが起源という。後に、1339(暦応2)年に松尾大社宮司藤原親秀が夢窓疎石(1275-1351)を招いて中興。応仁の乱(1467-1477)で焼失。蓮如(1415-1499)が荒れていた庭園復興。但し、この時点まで苔に覆われた庭園では無かった。苔むす庭は夢窓疎石も目にしていなかったことになる。そんな庭を堪能出来るとは感無量。