茗荷谷
現在は小日向と呼ばれている東京・文京区の一帯は茗荷谷町と呼ばれていた。但し、この名前は明治5年から。大垣野藩戸田淡路守屋敷、七軒屋敷、十二軒屋敷といった武家地を合わせて茗荷谷と名付けた。これは江戸時代、茗荷の畑が多かったことによる。少し語弊がある。茗荷谷町という名称は明治になってからだが、谷の名称としての茗荷谷というは江戸時代からあった。
小日向村が江戸の町方の支配に組み込まれたのは1713(正徳3)年。この年には第7代将軍徳川家継が即位している。