切支丹屋敷跡

その井上筑後守政重(1585-1661)の下屋敷があったのがここ。1646(正保3)年に下屋敷内にキリシタン牢屋を設置した。イタリアのパレルモに生まれた宣教者シドッチ神父は屋久島で捕縛され、江戸で新井白石の尋問を受けた後に筑後守下屋敷の牢に入れられ、1715(正徳4)年に殉教した。
切支丹屋敷は1724(享保9)年に焼失。以降再建されず1792(寛政4)年に正式に廃止された。
写真の石は殉教者を祈念するものであり八兵衛の夜泣石とも呼ばれている。
その井上筑後守政重(1585-1661)の下屋敷があったのがここ。1646(正保3)年に下屋敷内にキリシタン牢屋を設置した。イタリアのパレルモに生まれた宣教者シドッチ神父は屋久島で捕縛され、江戸で新井白石の尋問を受けた後に筑後守下屋敷の牢に入れられ、1715(正徳4)年に殉教した。
切支丹屋敷は1724(享保9)年に焼失。以降再建されず1792(寛政4)年に正式に廃止された。
写真の石は殉教者を祈念するものであり八兵衛の夜泣石とも呼ばれている。