天下の総城下町

徳川家康は太田道潅によって築かれた江戸城に小田原征伐の後に入った。しかし、関八州を統治する大大名には城は小さすぎた。そこで、本丸の南側に西の丸を築き、築城時の土で日比谷入江を埋め立てた。加えて、家康が征夷大将軍となると、神田山を切り崩し日本橋浜町から新橋までを埋め立て、それぞれの大名に命じて尾張町、加賀町、出雲町といった町人地を造営した。ここに天下の総城下町の基礎が形作られた。

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