乾竜山天徳院
東京は中野区の上高田寺町にある曹洞宗寺院。創建は慶長2年で寺号は2代将軍徳川秀忠の次女で前田利家の4男で加賀前田家3代目の利常(1593-1658)に嫁いだ珠に由来。なお、写真は江戸城の松の廊下で浅野内匠頭を後ろから抑え込んだ旗本梶川惣兵衛頼照(1647-1722)の墓。梶川頼照は旗本土岐縫殿助頼泰の子で梶川家700石を継いだ。1701(元禄14)年江戸城御留守居番の時に浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央に刃傷に及んだ現場に居合わせた。取り押さえた勲功によって1200石に加増を受けた。刃傷の顛末を「梶川与惣兵衛日記」として記したことで知られる。