野間大坊
源 頼朝の父親の義朝が落命した地ということで訪れた野間大坊。源 頼朝が父親の菩提を弔うために天下を制した後に伽藍を整備したことで知られている。今は伽藍が整っているということはない。でも、鎌倉に同じく菩提を弔うために大御堂橋の近くに建立された勝長寿院が鎌倉を襲った数々の戦乱で跡形も無く消失してしまったのに対して、知多半島にある野間大坊は残っているところが有難い。大門は頼朝が建立したものだし。
と述べてくると、この野間大坊は源 頼朝が建立したように感じてしまうが、伝説上の起源は天武天皇時代の役の行者草創、聖武天皇の時代に行基が開基ということになっている。古くから聖地であったことは確かだろうが、本格的に整備されたのは白河天皇の時代で、この時代に寺の名前が阿弥陀寺から大御堂寺となり勅願寺となった。それを1190(建久元)年に源 頼朝が定期仏師作で池の禅尼の念持仏だった開運延命地蔵菩薩を奉納したり、大門を建立したりした。もっとも、後白河法皇の側近だった平判官康頼が1186(文治元)年に水田30町と小堂を寄進したのが始まりだろう。
ちなみに、本尊は阿弥陀如来のままで、愛知県指定の重要文化財。客殿も県指定重要文化財で伏見桃山城から移築したもの。大門は源 頼朝が再建したもので、梵鐘は国指定の重要文化財で鎌倉幕府第5代将軍九条頼嗣が寄進したもの。
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真言宗豊山派鶴林山野間大坊。