浄因寺(関東高野山)
足利市の北端にあって関東の高野山と呼ばれる行道山浄因寺。開創は714(和銅7)年に行基によるものでかなりの歴史を持つ。行基開創ということで行基上人の遺骨が分骨されている。足利と言えば、言わずと知れた清和源氏の名門足利氏、鎌倉幕府でも重きを成し、室町幕府を打ち立てた足利氏の土地。浄因寺は、その足利氏の地にあって、1376(永和2)年には室町幕府3代将軍足利義満によって祈願寺とされ法徳禅師によって臨済宗として再興された。これが事実上の浄因寺の始まりと言って良いだろう。室町時代には高野山のように数多くの学問僧を集めた。1623(元和9)年に落雷による火災で堂塔が焼失。足利氏の血をひくと公称する徳川幕府により寺領20石の朱印を受け復興。見所は、山道を手を使いながら攀じ登って行く奥の院にある石仏の寝釈迦。残念なのは、足利の市街地からかなり離れているために知名度が今ひとつであり、そのために古刹でありながら寺域の老朽化がそのままになってしまっていること。本当に惜しい。