柳沢峠

旧塩山市現在の甲州市にある標高1472メートルの峠。写真は青梅街道(国道411号線)。標識に見える丹波山は「たんば」と読むのではなく、「たば」と読む。一説によると、多摩地方の多摩と語源が同じという。ちなみに、丹波山は山梨県だが、大丹波、小丹波は東京都下の奥多摩町。同じ丹波ながら、この区分は武蔵国、甲斐国の時代から変わりが無い。

ところで柳沢峠が開通したのは比較的新しく1878(明治11)年のこと。それまでは青梅街道は大菩薩峠を通っていた。大菩薩連峯と御坂山地は山梨県を東西に分断し、東側の関東平野寄りが郡内、西側の信州寄りが国中と呼ばれてきた。このことは、1740(元文5)年に青木昆陽が『甲州略記』に「郡内(都留郡)の人は、甲州とは別の一国のように思って、三郡(国中の山梨、八代、巨摩三郡)を指して甲州という」と記述していることからも分る。

さて、この峠までの道のりはかなりうねうねとうねったものだった。それも新しい道路が造られて少しは楽になった。柳沢峠から奥多摩湖へと至る道筋は塩山から峠までに比べれば非常に楽なもの。中里介山の『大菩薩峠』で知られる大菩薩峠は柳沢峠よりも更に険しかったというのだから、なるほど明治時代に道路を通すのが困難だったということも想像の範囲内。


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