大善寺
勝沼で国宝といったら大善寺の薬師堂。真言宗智山派の古刹で山号を柏尾山という。本尊の薬師如来像は718(養老2)年に行基が日川渓谷で見た夢に従って右手に葡萄を持つ形で刻んだと伝説は言う。日本広しと言えども葡萄を手にしている薬師如来はここだけだろう。聖武天皇(在724-749)の時代には国家鎮護の寺となり52堂3000坊の栄華を誇ったという。しかし、最初の堂宇は平安初期に焼失。971(天禄2)年に甲斐の国の豪族三枝守国が再建。その後も焼失の憂き目に会ったが、その度に、平 清盛、源 頼朝によって再建がなされてきた。上の写真の薬師堂は北条時宗の嫡男で第9代執権北条貞時(1271-1311)が再建したもの。北条貞時と言えば平頼綱が安達一族を討伐した霜月騒動、その平頼綱を専横を理由に討伐した平禅門の乱の時代の執権。薬師堂の中で薬師如来像の脇を固める日光・月光菩薩と十二神将は運慶の弟子の蓮慶の作。本尊を納める厨子は甲斐武田氏第12代当主の武田信春(-1413)の寄進による。1954(昭和29)年に解体修復されて鎌倉時代に建立されたままの姿になっている堂の中は歴史が一杯。こういう雰囲気を味わうことが「美と歴史」の旅の醍醐味。
ここは三枝氏の後、武田氏の手厚い保護を受けてきたが、武田氏最期の当主の武田勝頼(1546-1582)は織田徳川連合軍に敗れ、岩殿城へと落ち延びる途上で大善寺に立ち寄って戦勝祈願を行った武田氏最期の地でもある。