金峯山寺

修験道の開祖、役小角(634-)が7世紀末の白鳳年間に、蔵王権現を感得して開山。
蔵王権現は、釈迦如来、千手観音菩薩、弥勒菩薩の過去、現在、未来を掌る三尊が仮の姿として現れたもの。
今回、世界遺産に指定されたことを受けて特別開帳されている本尊の三像は三尊だが全て蔵王権現という珍しいもの。また、秘仏としては日本最大。


[国宝]金峯山寺仁王門
正平3(1348)年に高師直によって焼失するも康正元(1455)年に再建された重層入母屋造三間一戸瓦葺の門。
本堂である蔵王堂が南面しているが、仁王門は北西の方角に横を向く形で配置されている。つまり、仁王門を潜って鍵状に曲がって本堂に至ることになる。これは熊野から吉野へと入る順峯という参詣路に沿っているとのこと。


[県指定文化財]仁王像
昭和25(1950)年の解体修理の際に発見された胎内墨書銘から延元元(1338)年に大仏師康成らによって造られ、康正2(1456)年に彩色されたことが判明。
延元元(1338)年ということは、仁王像は高師直による兵火を免れたことになる。



[国宝]蔵王堂
ここに今回、特別開帳された本尊が安置されている。
その圧倒的な大きさ、威容を誇る青き肌は一生忘れることは出来ない。
さて、この蔵王堂の正式な名称は金峯山修験道総本山金峯山寺(きんぷせん)本堂蔵王堂という。
開祖、役小角の手によって創建されたと伝わるものの、天禄2(972)年、寛治7(1093)年、嘉禄元(1225)年、文永元(1264)年、そして、正平3(1348)年に焼失。特に正平3(1348)年の高師直による焼失は大打撃を与え康正元(1455)年まで再建されなかった。
その後も天正14(1586)年に焼失。現在の本堂は天正19(1591)年の再建。
とはいっても、34メートルもの高さを誇る本堂は東大寺大仏殿に匹敵する古建築。

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